バベルの塔、音響、そして見出されぬ神
黄立行(スタンリー・ホァン)の「巴別塔(バベルの塔)」は非常に特別な曲で、私はこれを深く愛している。最近も、繰り返し聴いている。
それと並行するように、26年前に野尻真太氏によって監督開発されたゲームボーイ用ソフト『メタルギア ゴーストバベル』に没入し始めた。
私は「バベルの塔」という概念の正体を探求し始め、その結果として、この小さな実験的プロジェクトが誕生した。
BABEL TOWER SYSTEM ENGINE
これは、私が構築を試みた「音響のバベルの塔」である。 音響エンジンであると同時に、天へと至る塔を積み上げる小さなゲームでもある。
塔を高く積み上げるほどに、音は豊かに、そして混沌を極めていく。 システム自体の制御が失われる、その瞬間まで。
単なる問いから始まった。 もし「音」が単に再生されるものではなく、「建造」されるものだとしたら、一体何が起こるのか?
レイヤーを一つ追加するたびに、音は逸脱し、不安定さを増していく。 基礎的な波形から始まり、やがて反響、ノイズ、そして歪みへと変貌を遂げる。 ある臨界点を超えた時、音は境界を失い、判別不能な「空間」そのものへと化す。
最初の4層までは、まだ「理解可能」なサウンドデザインの範疇だ。 だが5層目以降、すべてが狂い始める。 インターフェース上のレイヤー名は異質なものへと変貌する。 「狂気の言語融合」、「塔の怨念」、「神の沈黙」……。
上方へと建造することは、一見、崇高な存在に近づいているかのように思える。 しかし実際には、このシステムが提示するのは別の路(みち)である。 ──強くなればなるほど、崩壊に近づく。 ──高くなればなるほど、維持は困難となる。
音が秩序を失い、言語が瓦解し、最後には「操作」という権限さえも剥奪される。 音は「今起きている事象」を告げる警告音へと変わり、システムの存在意義そのものが変質し始める。
視覚美学の観点において、 インターフェースはApple IIを彷彿とさせる高コントラストなグリーンのコマンドラインを再現した。 あらゆる操作が、80年代のデジタルの遺骸に対する考古学的なアプローチとなるように。 塔のデザインから滑らかさを排除し、無骨なピクセルブロックの積み重ねとした。 脈動する「███」のピクセルは、単なる図形ではない。それは音の「実体化された断片」である。
それはまるで、40年前のコンピュータが、呼び覚ますべきではない実験を執り行っているかのような光景だ。
最も異常な部分は、そのCLI(コマンドライン)にある。 通常のソフトウェアにおいて、ターミナルコマンドはシステムを精緻に制御するためのものだ。 だがここでは、入力されるキーワードは「呪文」に近い。
LOGOS、PNEUMA、AKASIC、KARMA……。
宗教、哲学、神秘学に由来するこれらの言葉は、システム内で音響的振る舞いと視覚的応答へと変換される。コマンドを入力するという行為は、操作から「干渉」へと変質する。
もちろん、この部分には「彩蛋(イースターエッグ)」を埋め込んである。仕様外の文字列を叩いた時、何が引き起こされるかは……誰にもわからない。😊
画面右側の「BIBLE」セクションは、さらにその先を行く。 そこには完全な文章は表示されず、漢字、仮名、記号が混ざり合った断片的な文字が生成され続ける。
それらに明確な意味はない。だが、システムの節奏に従って更新され続けるその様は、佐藤理氏の『LSD』における混濁した夢想のようだ。 高塔へと侵入した時点で、人類の語彙は意味を失う。 しかし、ある瞬間にそれは突如として明瞭になる。
「頂上には、何も無かった。」 あるいは、「I FOUND NOTHING AT THE TOP.」
人類が最高到達点に達した時、そこに神はいない。あるのは「SYSTEM FAILURE」のみだ。 リセットボタンは「Reset」ではなく、「崩壊」と呼ぶ。これは神話的な悲劇へのオマージュであり、一つの解脱である。
私はこれを、旧時代のテキストアドベンチャーゲームのようなスタイルで語りたい。 それは頂上を極めた探索者への答えであり、システム崩壊という名の「クリア」なのだ。
不停的爬 建筑一座高塔 (登り続け 高き塔を築く)
不停的爬 證明他的偉大 (登り続け 己の偉大さを証す)
孤独又让他 不停的堕落下來 (だが孤独が 彼を堕落させ続ける)
── 黄立行「巴別塔」歌詞より
『創世記』において、バベルの塔は神に近づこうとする人間の企てを象徴し、塔の崩壊をもって終焉を迎える。
このシステムにおいて、その構造は再現される。 音の積層 → 言語の失効 → システムの拒絶。
唯一残されるのは、最も簡潔なメッセージ──「頂上には何もなかった」。
私はこのシステムの隙間に、絶えずテリー・デイビス(Terry Davis)の影を見ている。 孤独の中でTempleOSを構築した彼の偏執的な狂熱に、私は深い共鳴を覚える。 無人のデジタルの境界で、彼は自分自身のために孤独な祭壇を築いた。
この「バベルの塔」もまた、音楽や音響芸術を創造するためのものではない。 ただ、より高次の「沈黙」と密やかな対話を試みるための儀式である。
これは楽器ではない。ゲームでもない。純粋な音響芸術ですらない。 これはバベルの塔であり、精神を病んだ者の奥庭(バックヤード)だ。 それは正気を失い、言語が錯乱した詩のようなものである。
試用リンク: https://yagyuranzou.github.io/Babel_Tower_Sound_Engine/
Yagyu Ranzou 開発日誌
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