『幽☆遊☆白書』、ダークなおとぎ話、そしてREAKTORベースの自作シンセサイザー

最近、PS2のゲーム「幽☆遊☆白書 爆闘暗黒武術会」を遊び始めた。正直、かなり遅い。

もう20年近く前のタイトルだし、操作感も今の基準で見れば粗いし、バランスも決して良いとは言えない。でも、その不完全さのおかげで、逆にある感覚が立ち上がってくる。

あの、ダークなおとぎ話の中に入り込むような感覚だ。

そこで自分が引っかかったのは、かなりニッチな存在だった。

裏御伽隊。

そしてすぐに、一人のキャラクターにハマった。

黒桃太郎。


彼は主人公でもなければ、物語の中心に据えられるような存在でもない。戸愚呂という絶対的な敵に至る前の、いわば通過点にいるキャラクターだ。

でも、妙に引っかかる。

裏御伽隊は、日本の昔話のキャラクターたちの「歪んだ側面」から生まれた存在として描かれている。その設定がすごくいい。人間には誰しも暗い部分があるし、それは簡単に切り離せるものじゃない。

改めて『幽☆遊☆白書』を見返すと、自分は主人公側よりも、この脇役のチームに惹かれていることに気づいた。

人間はもともと、かなり厄介な生き物だ。頭の中に浮かぶ衝動や歪みを完全に抑えることなんてできない。それがいわゆる「人間性」だと思う。

アニメや漫画は、その見えない部分を表に引きずり出して、「キャラクター」として可視化してくれる。


その構造が面白い。

じゃあ、その「キャラクター性」をそのまま音にしたらどうなるのか。

裏御伽隊のメンバーそれぞれを、一つのマクロとして扱ってシンセを組んだらどうなるのか。

そう考えたところから、このシンセは始まった。

単なる見た目の引用ではなく、キャラクターの性格そのものを、音の構造として再構成する。

それを自分が一番使い慣れているREAKTOR 6で組み上げた。


黒桃太郎の三つの武獣装甲——猿・雉・犬。

これは象徴ではなく、三つのオシレーターに対応している。サイン波、ノコギリ波、三角波。

ノブを回すという行為は、どの形態を強くするかを決めているようでいて、実際には三つの波形の間でエネルギーと重みを再分配している。

単なるミックスではない。干渉だ。

魔金太郎は、劇中では力はあるがどこか単純なキャラクターとして描かれる。ここではスクエア波のLFOとして扱っている。

音そのものではなく、周期的に全体を叩く力。強くすると、構造全体がリズミカルに歪み始める。

死々若丸は、より直接的だ。

彼の中にあるのはほぼ殺意だけ。そのままノイズとして実装している。

旋律もピッチもなく、あるのは密度と破壊。前に出るための音ではなく、他の要素を汚すための存在。

裏浦島は時間を担当する。

彼の道具である「逆玉手箱」のイメージに近い。単なるディレイではなく、複数のディレイを重ねることで、音の位置をずらし、重ね、同期を崩す。

どれが「今」なのか、わからなくなる。


そして最後が鈴木、つまり怨爺だ。

戦闘力としては高くないが、最も発明的な存在でもある。ピエロの姿に戻ったあとのあの派手さ——虹色の演出——あれがすべてを表している。

このシンセでは、彼はフィルターと色付けの役割を担う。

音は出さない。でも、すべての音の見え方を変える。

自分は彼が作った「前世の実」や「試練の剣」、そして黒桃太郎に与えた「奇美団子」が好きだ。

だからこそ、鈴木はこのシンセの中で、最も静かで、最も重要なポジションにいる。


自分にとってこのアンサンブルは、鈴木が黒桃太郎に与えた奇美団子のようなものだ。

いわば、自分のために作ったダークな道具。

REAKTOR 6の環境では、整った構造のシンセはいくらでも作れる。でも今回はあえてその「正解」を外した。

各ボイスごとのADSRもない。シーケンサーもない。すべてを細かく制御するインターフェースもない。

代わりに残したのは、「関係」だ。

操作しているのはパラメータではなく、キャラクター同士のバランス。

ノブを回すたびに、誰かが前に出て、誰かが押し下げられる。

音は設計されるものではなく、裏側で押し合い、歪み合いながら生まれてくる。

正直、現時点では「使いやすい」とは言えない。

でも、直感的ではある。

必要なのは一つだけだ。

今、どのキャラクターを強くするか。


裏御伽隊——日本の童話をベースにしながら、歪みと執着で再構成された存在たち。

この小さくて奇妙なチームに、自分はしばらく取り憑かれている。

Yagyu Ranzou
開発日誌

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